劣等感にまみれた私が、自分らしく生きようと思えるようになった話

悩んでいる女性 日常

私は自分の事が嫌い。

嫌いというか、物凄く残念な人間だと思っていた。

それは今でもたまに思うし、人と比べてしまうし、そのたびに劣等感を抱いてズ――ンとした気持ちになるけれど。

そうは言っていても仕方がない事に最近やっと気づいた話です。

劣等感にまみれた子供時代

私は背が低いくせにガッシリした体つきで華奢な女子にはなれないし、顔だって華がなくて地味。

運動神経はあまり良くなくて、体育の授業や球技大会、体育祭はいつも憂鬱でした。

性格面もそうです。

嫌われるのが怖くて自己主張が出来ない。

周りの子に比べて自分は人間性も女の子として生きていく為の見た目の可愛らしさも何もかも劣っていると思っていました。

先生に絶妙な距離感で絡んでいけるコミュニケーション能力や可愛げも無いし、

自分の可愛さ・積極性・クラスでの立ち位置を自覚して、劇の主役に手を挙げるような子が本当は羨ましかった。

私はいつも何をするにも不安で、親や先生のお墨付きが無いと決断できない子供でした。

自分が何がしたいのか分からない。

もっと言うと、

したいと思っていても変じゃない事って何?

私なんかが目指していても馬鹿にされたり眉をひそめられたりしない事は何?

そんな事ばかり考えて、自分が本当にどうなりたいとか何をしたいかが分からなくなっていたのだと思います。

高校までは、4年制の大学を出て地元で公務員になる事が何よりも安全で心穏やかに生きられる道だと思っていました。

その生き方が悪いと言っているわけではありません。

ただ、その未来は私の意志は何もなく、ただ”大人が良いって言っているから”という根拠だけで何となく描いていた事が、私にとってのコンプレックスとなっていました。

大学生になって一人暮らしをし始めてから、段々と自分の意志が無い事に焦りを感じるようになりました。

私はこのままで良いのか。

本当にただ”安全っぽい”というだけで未来を選択して良いのか。

少しだけ広がった世界の中で、私が生きられる未来はもっと他にもあるんじゃないか、そう思うようになりました。

大人になった私と小さな気づき

大学卒業後は、劣等感まみれの自分自身を変えたくて体育会系の営業会社に入社しました。

そこでは自分がかつて劣等感を抱いていた同級生が大人になったような同期や先輩、上司に囲まれて仕事をしました。

最初はその一員になって同じ職業に励めている事が嬉しかったけど、徐々についていけなくなりました。

やっぱり私には無理だった。

いや、でも私だってもっと頑張ればきっと…。

やっぱり無理だできるはずない。

だってもうあんなに同期とも差が開いてしまった。

絶望とほんの少しの期待がごちゃ混ぜになりながらしがみついた5年間。

どうしたって手が届かない憧れの人々。

私はやっと自分自身に目を向ける事が出来るようになりました。

私は他の誰になる事も出来ない。

他の誰かだって私になる事は出来ない。

彼等と私は全く別の人間であって彼等と同じ人間になろうとしなくても良い。

というか、なれないし。

私は彼等のようになりたくて、彼等のようにふるまおうとしたけどいつだって無理をしていました。

飲み会でわざとらしくテンションを上げる事も、営業で成功したいです!と自分の気持ちかも分からなくなった願望を口にする事もずっとずっと苦しかった。

変わりたかったけど、結局ただ無理をするだけに終わりました。

彼等の真似をしても、幸せにはなれない事を知りました。

様々な自己啓発本を読んだり自己分析・内省を繰り返し、20代後半に差し掛かったところでやっと、

人には向き不向きがあり、自分自身を活かして生きる事が成功・幸せのコツなのだと分かりました。

この事実を知った時、初めて自分の事をフラットな目線で見る事ができたように思います。

良い悪いは置いておいて、「私はこういう人間なんだ」その事実だけに注目して、

だったらどう活かしてやればいい?そういう人間である私はどう生きたい?そう考えられるようになりました。

見た目だって、華奢で背が高くて美人で存在だけで周囲の癒しになるような容姿でなければ女の子として幸せに生きていけないとまで思いつめた事もあったけど、

美人には美人の努力も苦労もあってあの容姿を手に入れたんだと思うと、私はただ単に何の努力もせずに僻んでいただけだったと思うようになりました。

私は私なりに自分が好きだと言える自分の見た目を作っていけばいい。

ほんの少しだけ、今は前向きにとらえています。

もっと自分を好きになりたい

私は私の人生しか生きられない。

そんな当たり前の事実に気づいてから、

「もっと自分が心地よく・楽しく・幸せでいられるように生きよう」

そう思って更に内省を続けたり、働き方に試行錯誤してみたりしています。

でも、やっぱりまだ、私はあの人みたいにできないとか、細くてきれいで良いなとか、私にもこんなセンスがあったらなって身近な人や他人が羨ましくなります。

でもその裏には、苦労や努力・その人が今まで大事に積み上げてきたものがある。

そう思うとただうらやむのも失礼な話だと自分を戒めるようにしています。

まだ、自分にはこんなとこがあるって受け入れたくない部分も、好きだなって思える部分もあってブレブレだけど、

死ぬまで付き合う自分だから、最後には楽しかったって言えるように生きていきたいです。

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